2008年04月17日
それぞれの終末論
ムラオカさんのブログで『地球へ・・・』というマンガが紹介されている。 この『地球へ・・・』や、私のブログで先日紹介した『最終兵器彼女』や、あるいは有名所だと『風の谷のナウシカ』などもそうだが、地球の未来が舞台のファンタジーでは、ほぼ共通して、「地球を何とかしよう」というのではなく、「地球はもうダメだ」という暗黙の了解が存在している。 例えば『地球へ・・・』は 「人類が地球を窒息させている」と結論付けた一部の人間の考えにより、人類の手ではもはや修繕不可能なまでに進んだ環境破壊で生命滅亡の淵にある地球を再生するため、全ての人間がマザーコンピュータとともに植民惑星へ退去した。 」 という設定になっているようだ。 つまり漫画家の思考の中では、「地球はもうダメだ」という共通認識が存在している、ということだ。 これは、一昔前なら「宇宙へ飛びたち、地球外の惑星に移住できるほどに地球の科学技術は発展する」と信じられていた、ということもあったのだろうが、今現在連載されている漫画でも同じような認識がある、ということは、漫画家のように人間への洞察の鋭い人ほど、「人間の“業”は止められない」という宿命をひしひしと感じ取っている、ということなのかもしれない。 地球の最後はどうなるのだろうか。 『最終兵器彼女』では、 「伸びに伸びきったゴムが、ちょっとしたきっかけでプチンと切れてしまった」 と、地球の終末へ至る過程を表現していた。 じつはこの「ゴムが伸びきった状態」というのが曲者で、一企業の倒産への流れなどを見ていると分かるが、ゴムが伸びきってしまうと、確かにちょっとしたきっかけでゴムは切れてしまうのだが、この「伸びきった状態」から「何かのきっかけでゴムが切れる」までの期間が、異様に長く続く。 地球環境も、「伸びきった状態」から「何かのきっかけでゴムが切れる」までかなりの期間があると予想され、じつはこの期間だけで、人類は100年200年は生き延びられるのではないか、とも私は思っている。 例えば「豪快な号外」で、マンガによる人類の未来のシュミレーションが示されていたが、そこで未来の人類は防護服に身を包みながらも、なんだかんだ生き長らえている。 つまり、「人類が滅亡する」とか「地球は破滅する」という論点で環境破壊を語るのは、厳密に言うと少し間違っている。 どんなに環境が破壊されても、地球は滅亡するわけではないし、防護服に身を包み、あらゆる技術を駆使してでも、人類は生き延びるだろう。 だが、そこで失われるものは確実に存在する。それは年間の自殺者の統計や、難民キャンプでカメラに悲しげな表情を浮かべる少女の写真、聖火を取り囲む警備隊とそれを眺める人々の張り詰めた空気や、そし物憂げでやるせない日常を生きるすべての人々の胸の中にあるもやもやとした思いが象徴する、「何か」だ。 私たちは何を取り戻そうとし、何を守ろうとし、そしてどういう「エンディング」を思い描いているのか。 数多の漫画家たちが地球の未来を通して見つめていたのは「人間の“業”」だ。私たちが見つめなければならないのも、同じものに違いない。
- posted by よっひ~ |
- 21:47 |
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