2008年04月20日
アマゾンの森は人を生かすのか、殺すのか
アマゾンは大変らしい。 『Think the Earthプロジェクト』のHPの中の「Think Daily」というコンテンツで、アマゾンの森林伐採の現状がリポートされていた。 アマゾンの森がなくなっていることは、森林伐採の現状の世界的象徴ともなっていて、心を痛めている人も世界中にいるが、では「どうして森はなくなっていくのか」という背景については、決して一枚岩で語れるものではなく、そこに住む人々の生活や、ブラジル行政の問題、そして闇ブローカーによる「違法伐採」の問題など、様々な要素が絡んでいる。 もちろん森が切られ、焼き払われるということは、森を切ることに需要があるということで、森を「買う」側がいて、そして森を売らなければ生きていけない人々がいる。 そのような背景については以前にもこのブログで言及したことがあったが、そういった意味で、アマゾンの問題は世界の問題でもあり、ただ「アマゾンの森を守れ」と声高に叫ぶだけでは、何の解決にもならないどころか、そこに住む人々の生活や文化を根絶やしにする可能性すらあることは、「Thinl daily」のレポートの中でも指摘されている。 割り箸の話題に時にも、「じゃあ割り箸産業で働く人はどうするのか」という話題が出たが、そのような観点はあらゆる環境問題に通用するもので、アマゾンの森林伐採でさえ、世界中の「アマゾンの森を守れ」という声に、現地の人々は違和感と疑念を抱いている。 破壊であれ、再生であれ、どこかの土地を変容させる、という時には、そこに住む人々の生活を保障するセーフティーネットが用意されていなければならない。 だが、例えばODAで途上国の開発を援助する、という場合にも、途上国の土地を整備したり新たな施設を開発する、という局面で、そこに住む人々の精神的負担や実生活における負担を保障する、というところまで援助し切れていない現状があり、逆に「クリック募金」などで、「この募金は、どこどこの森林を再生する資金をして活用されます」と書かれている場合でも、例えば今まで畑だったところを森にして、その畑の持ち主の再就職手当てとしてクリック募金は活用されるのか、という問題に関して、議論されることも、情報公開されることもほとんどない。 アマゾンの森。アイスランドの凍土。ツバルの海。世界で危惧されている環境破壊の現場は数多に存在するが、「ではそこに住んでいる人は何を考えているのか」ということが、議論の場に上ることがあまりにも少なすぎる。 環境が破壊されて悲しむ人がいれば、環境保護を声高に叫ばれることで困る人もいる。 人を守るために掲げられたエコロジーが、人をないがしろにしている現状が、そこにはないだろうか。 ちなみに私は『ガイアの夜明け』というテレビ番組が昔から大嫌いだ。 なぜなら、あの番組は「社長の決断」と「それによって変わった企業」ばかりがクローズアップされて、そこに「社員の努力」の視点が抜け落ちているからだ。 社長が何か決断する。その決断を実現するために、社員は連夜の徹夜を強いられたかもしれないし、得意先に罵詈雑言を浴びせられ頭を下げ続けたかもしれないし、嫌なキャバクラ通いを強いられ子供を遊園地に行くために貯めておいた貯金を切り崩したかもしれないし、10年間続けてきた「妻と結婚記念日は一緒に過ごす」という習慣を壊さざるを得なかったかもしれない。 そういった、社員のミもフタもない血のにじむような努力を無視して、「変えようという決断が企業を変えたのだ」としか、『ガイアの夜明け』は伝えようとしない。 環境問題も同じで、「守ろうと言って守られた」とか「変えようと決断して変わった」とか、そんな“因果”ばかりを追い求めて、何か大事な視点を無視していないだろうか。言いたいことは、そういうことだ。
- posted by よっひ~ |
- 22:05 |
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