緑の管理は大変だ

 ここ数日、東京はぐずついた天気が続いていた。
 そのおかげで、ベランダの窓の下に置いていたカプセルプランターたちも萎れてしまい、もう発芽から5ヶ月近く経つのだし、そろそろ寿命なのかもしれないな、と思っていた。
 先日、久々に太陽が顔を出して、そのままいつものように仕事に行って帰ってきたら、プランターは見事に息を吹き返していた。なんて現金な奴らなんだ。

 人間の感情は如何にして生まれたのか、というその起源について、感情とは、荒ぶる波や、穏やかな風や、春に咲く美しい花や、冬のしんとした静けさなど、自然の姿が見せる情動を模したものなのではないか、という説がある。
 緑を育てていると、たしかに自然にも感情はあるのかもしれないな、と思う。
 その感情は、より動物的、というか、人間で言うと赤ん坊の状態に近いもので、1日太陽を見られなかっただけですぐ萎んでしまうし、そう思うと太陽がちょっとでも顔を出したと思ったらすぐ機嫌を良くするし、より率直で、素直で、嘘がなく、正直だ。

 家にあるような小さな芽でさえそうなのだから、植林事業や農業で、より多くの、そしてより多種の自然を見守り、管理している人はもっと大変なのだろうな、と思う。
 熟練した人にもなると、木一つ一つの性格なども分かるのかもしれない。この杉の木はわがままだけど、こっちのヒノキはちょっとおしゃれ好きだ、みたいな。
 森を育てるためには、木を植えるだけでは不十分で、きちんと管理し、間伐して、手入れする必要があるのだという。
 それは言うなれば、人間の数十倍の寿命を持ちながら、永遠に赤ん坊の無邪気さと純朴さを備えた者への“子育て”のようなもので、ひょっとしたら、人間の子育てなんかよりもずっと大変なものなのかもしれない。


 ちなみに今日の緑たち。


 冬を越え、春を越え、みんなは今日も、元気です。


生き抜くコツは、辞めないこと

 地元の松屋に、50代半ばくらいのおじさんともおじいさんともつかない男性が、アルバイトで入ってきた。
 おそらく前の会社をリストラされたか、会社が倒産したか、なんにしろ、50代も半ばになって松屋にアルバイトで入ってくるには相当差し迫った理由があったのだろう。
 そのおじさん(ということにしておく)は、仕事だというのに金髪に思いっきりマスカラをつけた、コギャルみたいな先輩に、半分からかわれながら、仕事を教えてもらっていた。

 それから半年後。
 しばらく松屋からは遠ざかっていたのだが、松屋の箸が割り箸からリユースの箸に変わったというので、久しぶりに松屋に寄ってみたら、そのおじさんは、アルバイトのチーフとなっていて、深夜班の班長として、店を取り仕切っていた。

 おじさんは見事に打ち克ったのだな、と思った。

 電気グルーヴというテクノユニットが、つい先日8年ぶりの新譜を発表した。当時30代前半だった2人は、既に40代を越えていた。
 その新譜に関するインタビューで、8年ぶりの活動再開にも関わらず、いまだに注目を浴び続けることについて、芸能界で生き抜くコツを問われて、
 「辞めないこと」
 と答えたのだそうだ。
 落ち目になろうが、仲違いしようが、活動を休止しようが、解散せず、引退さえしなければ勝ちだ、と。

 生き抜くには、辞めないことだ。
 午前1時。だから私は、どんなに帰宅が遅くなろうとも、今日も書くことを止めないのである。