2008年04月24日
「エコかっこいい」と言うからには
「エコかっこいい」という言葉がある。 エコをすることはかっこいい、という認識を広めて、もっと多くの人にエコの輪を広げよう、というスローガンだ。 「エコかっこいい」という言葉がある以上、逆に言うと現状ではエコはかっこ悪いと思われている、ということなのだが、エコがかっこ悪い、という前提はどのようにして生まれ、誰が言い出したものなのか、が非常に気になっている。 なぜなら、周りで見聞きする限り「“かっこ悪い”という理由でエコをしてない」などという話は聞いたことがないし、情報ソースとして、そのような認識があるというデータや統計を見たこともないからだ。 エコがかっこ悪い、という前提は、じつは 「なんでエコが広まらないんだろう・・・そうだ、昔吸う姿がカッコイイ、という理由でタバコが流行ったのと逆で、かっこ悪いと思われているからエコが広がらないんだ、そうに違いない」 というような感じで、エコロジストが、エコが広まらなかったり、自分たちの活動が見向きされないことの理由として憶測で築き上げた口実で、言うなれば単純な被害妄想の一種なのではないか、と思っている。 たぶん街行く人に 「エコはかっこいいと思いますか、かっこ悪いと思いますか」 と聞いたら、 「かっこいいか悪いかはよく分からないけど、善い事だと思います」 という返事が返ってくるだろう。 そもそも普通の人にとってしてみれば、エコを「かっこいい・かっこ悪い」で判断する、という前提そのものが存在していない。 「エコかっこいい」ということで言えば、例えば木村拓哉がエコをすれば「エコかっこいい」ということになるだろう。蒼井優がエコをすれば「エコかわいい」ということになるかもしれない。 このように、「エコかっこいい」とは、内面や外見を磨いてカリスマになった人や、人格的に成熟した人がエコに手を付けること、のことを言うのである。 人格的に成熟しておらず、人望も人徳もない人が、エコをかっこよく見せようと振舞ったとして、そういうものは「エコメッキ」とか「エコ化けの皮」と称されるもので、いずれ剥げゆく類のものなのである。 「エコかっこいい」を広めたい、と思うのであれば、エステに行って外見を磨くか、人徳を磨いて誰からも好かれ、慕われる人間になるか、どちらかしかない。 人は「エコをしているか」を見ているのではなく、「エコをしているそいつが“人間的に”魅力があるかどうか」を見ているのである。 身もふたもないが、そういうものなのである。
- posted by よっひ~ |
- 21:22 |
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