2008年04月25日
哲学カフェに行ってきた
「関東実験哲学カフェ」なるものに参加してきた。 哲学カフェ、とは、そもそもヨーロッパで始められた試みで、日常生活で感じる何気ない疑問や社会問題を、カフェでコーヒーでも飲みながら語ろう、というもので、日常の生活に哲学を下ろす、というか、哲学を日常生活に溶け込ませようと始められたものなのだそうだ。 日本では「カフェフィロ」と言う名で、関西を中心に哲学カフェが開催されていたが、今年に入って関東の大学生のグループが、東京でも哲学カフェを始めた、という新聞の記事を見かけたので、そこに参加することにした。 場所は根津にある某カフェ。 今日の議題は「出不精でゴメンナサイ」。 議題を上げた人が司会を務めるシステムになっているのだが、その人が、友人から海外旅行の誘いを受けたが、海外旅行の魅力が分からなくて誘いを断ったら、周りからブーイングを受けた、ということで、「何が楽しくて海外旅行になんて行くのでしょ?」というテーマになった。 なぜ海外旅行に行くのか、という“目的”について挙げられたのは、次の3点に集約される。 ①「非日常:ラベリングの喪失」 ②「刺激:退屈な日常からの脱出、あるいは+αとしての好奇心の充足」 ③「達成感:障害やストレスを乗り越えて何かを成し遂げた、という実感」 ラベリングの喪失とは、身分や社会性を取っ払って、何者でもない「個人としての自分」が海外ではより鮮明に浮かび上がる、という意味で、何者でもない素の自分を表現できる快感、見たことのない世界を体験できる感動、そして目標を立てそれを達成した充実感が、海外旅行に行く人の原動力となっている、という話になった。 ただ、こうして概念として「非日常・刺激・達成感」と列挙すれば、それは決して国内でも得られないものではないはずで、それなら何ゆえ人は海外を目指すのか、という話になったのだが、そこで私は 「大宇宙に抱く壮大な神秘と、体内を巡るミクロ世界の神秘は、その大きさは違えど“神秘的である”という意味合いにおいて同等に語られるべきもので、壮大で荘厳な神秘の発見に重きを置く“学者気質”の人と、日常の中の小さな奇跡、その神秘に重きを置く“詩人気質”の人の、その前提の差が、海外旅行好きとそうでない人を分けているのではないだろうか」 というようなことを言った。 司会の人にとっては、なかなか説得力のある説明になったようで、“学者気質”と“詩人気質”という概念は、その場の思い付きではあったものの、なかなか上手いこと言ったな、と自分的にも満足だった。 まったく面識のない人たちが、カフェという気楽なスペースで、一つの話題を議論する。これはなかなかに楽しい経験だ。 人数が少なくて、皆冷静に人の話しに耳を傾け、殺伐とした雰囲気にならなかったのも良かったと思う。それこそ「大人の議論」と呼ぶにふさわしい場だった。 次回は5月15日に開催されるらしい。クールに、そして率直に、人と意見を交わしたい人。時間があれば、いかがだろうか。
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2008年04月25日
何よりもこの国のことを
先日、出勤前にコンビニで買い物をした際、レジに並んでいたら、前にいた50代くらいのおじさんが、カップラーメンと缶ビールを3本買っていた。 そのおじさんも、20代から働き始めて、この30年間、身を粉にして、仕事に情熱を燃やしてきたことだろう。30年間働き続けたその結果、平日の朝にカップラーメンと缶ビールで食事を済まさなければならない気持ちは、どのようなものなのだろう。 30年間一生懸命働き続けた人が、カップラーメンと缶ビールで朝食を済ませなければならない、という現状で、本当に持続可能な社会を築くことが可能なのだろうか、という疑問があるが、「30年間働き続けてもカップラーメンと缶ビールで朝食を済ませなければならない人々がいるので、環境問題を解決させるのは難しい」という問いたてをする人は、あまりいない。 おそらくそれは、環境問題自体が世界に目を向けているので、日本独自の社会問題として環境問題を捉える、というコンセンサス、というか下地ができていないからだろう。 例えば、「芸能人の不用意発言を糾弾してその芸能人を潰そうとする人たちがいるので、環境問題を解決させるのは難しい」とか「未婚の男性が増えていて、親の介護を息子が男手ひとつで取り持たなければならないので、環境問題を解決させるのは難しい」という言い方をする人はいないし、逆に「日本で植林活動をすれば、山形県でりんご農園の営む農家の人たちが助かる」とか「ゴミのポイ捨てをなくせば、毎週日曜日に原宿でゴスロリファッションに身を包んでたむろしている少女たちの心が救われる」という言い方がされることもない。 環境問題は、どこに目を向けているのだろう。 この国は、いまかつてない閉塞感に覆われていて、閉ざされた人々の心が、様々な社会問題を生み出している。 環境問題も、老老介護や無差別殺人や学校裏サイトや過労自殺や育児放棄や引きこもりやネットカフェ難民などと、並列に語られるべき問題なのではないだろうか。 とりあえず、一度問うてみてほしい。 「30年間働き続けてもカップラーメンと缶ビールで朝食を済ませなければならない人々がいて、環境問題の解決は可能だろうか」 と。
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