エコとは「生き延びる」こと

 現在定期的に通っているワークショップがあって、そのワークショップ後のお茶会の中で、沖縄のマングローブの話題が上った。
 今沖縄、特に西表島のマングローブが急激に減っているらしいが、現地の人はどう思っているのだろう、何とかしたいと思っているのだろうか、と。
 そのメンバーの中に、実際に西表島の民宿で働いていた、という人がいて、その人が言うには、マングローブそのものの生命力の偉大さからすると、人間が多少手を加えた程度では、何かが劇的に変化するようなことはないと、現地の人ほど痛感していて、実際にマングローブの原生林に行ってみると、
 「私たちのことはいいから、お前たち人間は、自分たちの行いを改めることに専念しなさい」
 と、マングローブに言われたような気がした、ということだった。

 
 このブログの以前の記事で、「エコロジーとは人類延命作戦である」という話題が上ったことがある。
 どんなに地球環境が破壊され、それが原因で人類が滅亡しようとも、地球は生き続けて、むしろ人類が滅亡したその後で、地球は自らの手で自然の姿を取り戻すだろう。
 そういう意味で、「地球がかわいそう」とか「地球を救いたい」などという言説は傲慢でおこがましいものでしかなく、エコロジーとは地球を救うためではなく、「愚かな人類が生き延びるための悪あがき」として捉えるべきだ、と。

 「悪あがき」としてエコロジーが存在し、自然の偉大さに比べれば、人間が自然に手を加えてできることなど、せめて「人類が生き延びられる程度に環境を維持すること」しかない。
 そう考えると、まずしなければいけないのは、その人がマングローブに言われた通り、「自分たちの行いを悔い改めることに専念する」ことであり、そういった意味では、まず私たちが優先的に考えなければいけないのは、「自分の人生を生き延びる」ことなのではないか、と思う。
 
 世界を救うとか、地球を救うとか、世界に革命を起こすとか、社会を変えていくとか、そういうことを言っている間に、自分の人生は誰かに潰されていないか、自分の心は誰かに潰されていないか、自分の幸福は誰かに潰されていないか。
 誰にも人生を潰されることなく、誰の人生を潰すこともなく、生涯を全うできる生き方を選択し、なんとしても生き延びること。
 それが、エコロジーのエコロジーたる、最も優先されるべき生き方なのでないだろうか。

間違ったことは言っていない

 4月26日に、親が子を見捨て、誰もが誰もを見捨てる社会が訪れる、という「2018年、日本は「放置国家」に!?」という記事を書いたら、その翌日、読売新聞の世論調査で、「家族のきずな「弱まった」9割・・・」という統計が発表された。

 4月16日、かつてこの国の革命を志した、学生運動や全共闘の人たちは、今の環境運動ブームを見て何を思うだろう、という、「例えば、学生運動」という記事を書いたら、今日からMSNのニュースサイトで、「全共闘の“革命”は何を残したのか」という連載が始まった。


 意外と私は、間違ったことは言っていないのだな、と思う。
 というか、「エコロジーブログ」という括りで言うと、このブログは特異なのかもしれないが、同じようなことを考えている人は世の中にたくさんいて、そのたくさんの人たちにちょっとだけ先んじていると思うし、ちょっと嬉しい。

 このブログを見れば、世の中の先が読めますよーヾ(*´∀`*)ノ 
 なんちゃって。


 ちなみに昨日、このブログとおそらく理念的には同じことを考えている、法政大学人間環境学部教授の「藤倉良の「冷静に考える環境問題」」というブログを見つけたが、藤倉教授のブログが始まったのが昨年11月。
 このブログのスタートは昨年6月である(`・ω・´)9m