肉食を断って気づいたこと

 牛丼1杯に要する資源やCO2の排出量がすさまじい、という話や、映画「いのちの食べ方」などで紹介されている、生き物を殺して食物を得ることへの反省などから、意識的に肉を食べない生活をするようになったが、体が肉を受け付けなくなった、というわけではないし、たまに肉が非常に恋しくなることもある。

 元々ヒトは狩猟時代、ずっと肉を食べて生きてきた。そういう意味では、人が肉を食べる、というのは、狩猟時代の祖先から受け継がれてきたDNAに刷り込まれている本能である、とも言える。
 肉食を禁ずる、という規律は、そもそもは宗教的な意味合いから始まったものであり、だから人間は、本能による肉への渇望を、宗教心や理性で抑えている、ということになるのだが、人の中には、本当に肉をまったく受け付けない、という人もいて、今でこそ環境への配慮から、ベジタリアンも堂々とその肩書きを名乗れるようになったが、本来的なことで言えば、肉が食べられない、というのは、DNA的にどこか不自然なことで、人間としてどこか欠陥があるのかもしれない、とも思う。

 ただおそらく、肉食への反省や、環境問題と肉食が深いかかわりを持つ、ということに気づけたのは、この世界に生粋のベジタリアンがいたからで、そういう意味では、どこかに欠陥を持つ人間がいたからこそ、世界の真実に気づくことができた、とも言える。
 以前ムラオカさんが紹介していた「地球へ・・・」では、完全にコンピューターによって洗脳・管理された社会に、稀に洗脳を逃れる人間が現れて、管理社会に立ち向かうようになる、という設定がある。
 その人々が洗脳を逃れた力は、一種の超能力であり、やがて超能力者たちは「ミュウ」と名付けられ、異端者の社会を形成していくのだが、人が超能力を持つ素質が、「身体のどこかに障害を持っていること」なのである。
 
 異端者であり、障害や欠陥を持っていることで、社会を別の視点から俯瞰することができるからこそ、気づくことや、知ることのできる真実もあり、肉食が今、見直されてきているのも、そういった「ミュウの素質」があったからこそ、なのかもしれない。

 異端者はどこか不自然で、欠けていて、だからこそ真実に気づくことができる。
 世界を変えていくのは、そういった「欠陥」こそ、なのかもしれない。