ひとつの時代の終焉

 「私たちは 次々と大量に作られるモノを 次々と大量に消費していく

  新しいデザインで 機能で 広告で 欲望は刺激され モノの寿命はまた短くなる 
  
  このぐるぐる回るサイクルに いつまでも回されるのだろうか ・・・」


 現在旭化成へーベルハウスのCMで朗読されるメッセージなのだと言う。今日の新聞に載っていた。
 大量生産大量消費の中心的な存在であったメディアの中で、これほどまでにストレートな自己批判は前代未聞だとして、各所で話題になっているという。

 もう大量生産大量消費社会は限界なのだ、と誰もが気づき始めている。
 いや、それは大量生産大量消費にとどまらない。
 つい先日は、現在心の病を抱えて休職をしている社員がいる企業は全体の6割にも及ぶ、という統計が報道された。
 誰もが傷つき、誰もが疲弊し、誰もが恨み、誰もが嫉み、誰もがうなだれ、誰もが自暴自棄になる。
 本当は誰もそんなものを求めてなどいなかったのに、誰も止めることができない。
 もうそんな世界には限界が来ていて、数知れない犠牲者が既に存在している。

 本当は何を手にしたかったのだろう。本当は何をしたいと思っていたのだろう。本当はどこに辿り着きたかったのだろう。本当は、私は何者になりたかったのだろう。
 そのことに立ち返る時が、もう、来ているのだ。

 新聞の記事では、当のCMの製作者のメッセージも掲載されていて、住宅事情と絡めて、今回のCMを製作した意図が語られていたが、その最後を、こう締めくくっている。

 「――メッセージを込めた。もうそれが、届く時代でしょう」

 ある一つの時代が終わりつつある。いや、終わらせる時が来ている。

 もう「こんなご時勢だから」とか「こんな世の中だから」とか「こんな社会だから」とか、言わなくても済むかもしれない。
 飛び出そう。飛び出すべきだ。