2008年07月14日
ほどかれた腕
「エコロジーとエコノミーのバランス」は、常に環境問題を語る上での最重要案件として議論され続けてきた。 時系列で言うと、今は「環境が大変だからエコロジーに偏ろう→でも、そうすると経済が成り立たなくなる→省エネグッズやフェアトレードの流通で、エコロジーと経済の発展は両立できるよ!→実際やってみたらエコグッズの大量生産大量消費とか、リサイクルすれば大量廃棄してもかまわないと言い出す人が出てきて、やっぱりどこかで無理が出てきたよね」という段階で、やはりどんなに妥協点を探っても、根本的な環境問題の解決のためには、経済を停滞させるしかないのではないだろうか、と、エコロジー派とエコノミー派が睨み合っている状態かと思う。 現に私の職場でも、環境問題云々言っているけど、温暖化を止めるためには、今より不景気にならなくてはいけないのだろう、という認識を持っている人が多数いる。 それは別の言葉で言うと、「エコロジーは俺たちの仕事を奪ったり、給料を減らしたり、税金を増やしたり、庶民の負担を重くしようとしている」という認識でもあり、そのせいでいわゆるエコロジーに憎悪の目を向けている人も少なくない。 「地球温暖化の止めるために私たちができること」という見出しをよく見かける。その時の“私たち”とは、一体誰のことを指しているのだろうか。 おそらくこれからこの国は、「金銭的余裕」があるかないかで、エコロジーを推進する人と、エコロジーに憎悪の目を向ける人、その両極端に分かれていくのではないか、と思う。 それは表現を変えると、これからはエコロジーに「無関心」である人が少なくなる代わりに、エコロジーに「敵意」の目を向ける人が相対的に増えるだろう、ということでもある。 例えば、今牛肉はほとんどがアメリカ、カナダ、オーストラリアから輸入されていて、牛1頭を育てるのに必要なCO2と、産地から輸送する際の「フードマイレージ」の観点から、国産の肉を食べるようにしよう、という話がある。 だが、現実に外国産の牛肉の輸入をストップしたら、牛肉の原価が急高騰し、年収600万円以下の庶民は、生涯牛肉を口にすることができない、という事態になるだろう。 その時の日本は、「年収600万以下」の庶民の人口がどれどほど広がっていて、これまで口にすることができた食べものが、エコロジーのせいで口にできなくなってしまった、となった時に、彼らがどういう行動に出るのか。 「そういう事態になった時にどうするのか」ということと、「そういう事態を回避するためにはどうすればいいのか」ということを、議論してもいいのではないか、と思う。
- posted by よっひ~ |
- 20:56 |
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