人は如何に生きるべきか

 今振り返ると、随分ひどいことをしてきたな、と思う。

 親を泣かせたこともあるし、約束を破ったこともあるし、友達を縁を切ったこともあるし、嘘をついたこともあるし、相手を傷つけるようなことを言ったこともあるし、かっこよくもないのにかっこつけていたこともあるし、周りの人間はなんでこんな頭が悪いんだろうと軽蔑したこともあるし、逃げも隠れもしたこともあるし、とんでもない人生だ。


 人類も、地球に対してひどいことをしてばかりだった。戦争はするし、魔女狩りはするし、奴隷を従えたりするはするし、謀略で主に毒を飲ませたりはするし、病気は流行らせるし、革命は起こすし、石油は掘り当てるし、密告はするし、隠蔽はするし、何もかも最低だ。

 結局今、環境問題環境問題と訴えているものは、つまるところ人類の生き方が間違っていた、ということに対するひとつの「結果」だ。
 これまでの人類の生き方は、どこかに決定的な間違いがあって、それを是正しなければならない、その具体的な判例として、環境問題は存在しているわけだ。
 今俗に「地球温暖化」とか「マイナス6%」とか言っているものは、要するに「人類の過ちをCO2排出量に換算しよう」としているだけのことにすぎない。
 大切なのは、CO2を減らすことではなくて、CO2を減らすことをひとつのきっかけとして、私たちの歩みのどこに間違いがあったのか、そして人はどのように生きるべきであったのか、その“答え”を、導き出すことだ。

 人は如何に生きるべきか。エコロジーが問うものは、すべからく最後にはそこに行き着くのだ。