エコロジーは偽善なのか

 サブプライムローンの破綻で、アメリカは大変なことになっているらしい。

 ある人は家を失い、ある人は病床に伏した妻を病院に連れて行くことすらままならず死別し、ある人はワゴン車の中での生活を余儀なくされ、ある人は一流大学卒のエンジニアであったにも関わらず、家も職も失い、半年たっても再就職できずにいる。

 ローン会社の破綻が、何ゆえにここまで全世界に影響を与えているのか、私はその原理を正確に理解しているわけではない。
 だが、一つだけたしかなのは、彼らからしてみれば、「エコロジーどころではない」のだろうな、ということだ。
 エコロジーどころではない人がいる限り、持続可能社会や低炭素化社会と呼ばれる社会を実現するのは到底無理な話だ、と思うのだが、じゃあエコロジーな社会を実現するために、サブプライムローンで職を失った人に職を斡旋しよう、という人はいない。

 村上龍がマイクロソフトのサイトの中で、「なぜ世界のセレブは、自国に貧困に目を背け、アフリカの貧困ばかりに目を向けるのか」という話をしていたことがあったが、それと同じで、なぜ人々は自国の問題に目を背け、世界の温暖化ばかりに目を向けるのか、という疑問は、どこかでくすぶっている。


 「エコロジーは偽善だ」という言い分があるという。
 たぶん「偽善」という表現は正確ではなく、自国の問題に目を背けている、という意味合いでの「非人道的」という表現が近いのだろうな、と思う。
 例えば、息子が40度の高熱を出して倒れてしまって、母が父の会社に電話をした。「息子が今にも死んじゃいそうで大変なの!早く帰ってきて!!」
 そこで父が「ばかやろう!息子が死ぬかどうかなんて、アフリカで飢餓で苦しんでいる子供に比べればどうでもいい問題だろうか!放っておけ!」と言ったら、さすがに誰だって、何て薄情で非人道的な人間だろう、と思うことだろう。
 おそらく、同じような感覚を、人々はエコロジーに対して抱いているのではないだろうか。

 どんな国だって、重大な社会問題を抱えていて、エコロジーどころではない人がたくさんいる。
 自国の社会問題に目を背けて、エコロジーさえ語っていればいい、という態度は、正しいか正しくないかは別として、エコロジーに対する真剣さが足りないと思う。

 エコロジーを語るなら、社会問題を語れ。それは、エコロジーに真摯に向き合う上での、一つの責務だと思う。