残された時間

 この星に残された時間はあとわずかだ、と人は言う。
 だが意外と誰もが見落としているのは、この星の残された時間よりも、自分の人生に残された時間のほうがずっと少ない、ということだ。

 ああそうだね、地球はなんだかんだであと何百年何千年と持つけれど、人の一生なんて、もって100年弱だものね、と考えるのは野暮というものだ。

 10年後、あなたが生きている保証がどこにある。

 なぜか人は、天寿を全うするにしろ、病気か何かでリタイアするにしろ、「平均寿命程度には生きられるだろう」という幻想を決して手放さない。
 だから「この星を生きる自分」というものを考えたときにも、無意識のうちに80年後90年後の自分まで勘定に数えてしまうが、だが人間の一生などというものは、ある日突然終わりを告げる。それは10年後の話なのかもしれないし、ひょっとしたら、もう明日の話なのかもしれない。

 残された時間は、少ないのである。

 エコロジーを語る際に「未来の子供たちのために」というスローガンを掲げることがあるが、実際に未来の子供たちの姿を想像したとき、必ずその子供たちの隣に佇む「自分の姿」というものを共に想像しているはずだ。未来の子供たちと、自分は共に「生きているはずだ」、それを疑う余地はない。
 だが実際には未来の子供たちの姿の隣に、貴方の姿が共にある可能性は、限りなくゼロに近いと思っていい。

 だからこそ、「今、ここで、自分はどう生きるのか」そのことが大事なのだ。
 お前は何者だ、何のために生まれてきた、お前の価値は何だ、ここで何をしようとしているのだ、お前は世界にとっての何なのだ。
 そのことを問い続け、選択し続けること。
 世界のとっての自分の価値を精一杯に全うすること、それこそが「未来へ希望を託す」ということなのではないだろうか。

 未来を生きるのではない、今を生きるのだ。