『排除型社会』に答えはあるか

 先日の記事で紹介した『排除型社会』と言う本。結局借りて読んでいる。
 現在の社会病理の根本が的確に網羅されていて、これ一冊あれば、現在を蝕む人間の精神構造の概略が掴めるようになっている。一家に一冊持っておきたい名著だ。

 さて、『排除型社会』によると、現代が『排除型社会』つまり人と人が蹴落としあい、プライベートを強行に死守し、人や世界への思いやりを失い、自分の事しか考えないような社会になってしまったのには、大きく2つの原因があるという。
 1つは経済の発展による個人主義の増長。世界が豊かになって、物質的に一家に一台だったものが一人に一つずつ与えられるようになった、という面もそうだし、世界の誰もが「市民権」を持つようになり、差別や格差がなくならないにしろ、それを是正するよう主張し、声を上げることが可能になった、という権利的な面でも、個人主義は全世界に浸透した。要するに「1人でも生きていられる社会」ができあがったのである。
 1人でも生きていける社会。それはある意味では、人々が平等に生きられるようになった、ということだが、ある意味では、コミュニティや隣人との接点をもつ必然性が失われた、ということでもある。
 そして、世界の発展による平等は、「これからも永続的に発展は続く」という前提の上に成り立つものであり、「成長の限界」が露呈した近代後期以降、大きな問題が現れた。
 それが2つ目の原因となる「相対的剥奪感」である。
 経済が不安定になると、雇用制や給与も不安定になり、それに伴う犯罪も増加し、「いつ誰から蹴落とされるかもしれない」という不安が世界を覆い始める。そうなると、例えば働いていない人間を見ると、「こいつらは生活保護を受けて俺たちの税金でのんびりと暮らしているんだ」と憤るようになり、上を見ると、「こいつらは俺たちをいいようにこき使って搾取しているんだ」と感じるようになる。
 絶対的な経済格差や社会格差とは別に、飢えの人間も下の人間もすべての人間が「自分から搾取している」と思うようになる。
 それを「相対的剥奪感」と言い、相対的剥奪感に一度苛まれると、すべての人間が自分の敵だと思うようになり、「先にやらなければこちらがやられる」という強迫観念の元、自主的に周りの人間を排除し、バリケードを張るようになる。

 つまり、現在が『排除型社会』になっているのは、経済成長によって増長した個人主義が、経済の崩壊によって相対的剥奪感に変化したのが原因である、というのである。簡単に言うならば「経済成長」という梯子を使い、「平等と市民権と個人権利のある社会」という足場に上り詰めたところ、梯子だけが外されてしまい、見知らぬ人々が自分の周りを囲っていることに気づいて、そのすべてが敵に見えてしまっている、というのが『排除型社会』の現状だと言うのだ。

 続く