結論:エコロジーと環境問題の解決は別の話だ

 前の記事で「続く」と書いたが、続くようで続かないかもしれない。

 『排除型社会』を読んでずっと考えた。
 結局、現在の環境問題のすべての根本は「大量生産大量消費」にある。
 ではなぜ大量生産大量消費社会になったのか、ということを考えると、経済の成長による個人主義の発展と、その後の経済成長の崩壊による社会の不安定と相対的剥奪感に原因がある。
 つまり、個人主義によって「“今ここにある”自分ひとりの人生を考えればいい」社会になったのと同時に、雇用の不安定や犯罪の増加などにより周りのすべてが敵に見える社会になったことによって、「自分ひとりの人生をバリケードが如く強硬に守らなければならなくない」世界になったから、未来や、他人や、将来を考えて生きることができなくなり、それが環境破壊を生み出したのだ。

 環境破壊を食い止めるためには、つまるところ大量生産大量消費社会を是正しなければならない。
 そのためには「個人主義社会」から解放されるような新しい形態のコミュニティを作る必要と、「相対的剥奪感」から解放されるような、全世界に通用するような公平な評価基準と監査システムを構築しなければならないのだ。


 その結論まで辿り着いて、ずっと考えた。

 そして、もうこう結論付けてしまおうと思う。

 「エコロジーでは、環境問題は解決できない」と。

 いや、解決できない、というのは語弊がある。
 現実にCO2増加による地球の温暖化は進んでいるのだから、植林や節約を通じて、とりあえずCO2排出量は減らさなければならない。
 環境問題を解決させるにも、その「解決の場」がなくなってしまっては元も子もないからだ。
 だが、それはあくまで即物的な対症療法であって、CO2削減と同時に、根本的な環境問題の解決策を考えなければならない。
 言うなれば、エコロジーと根本的な解決策は、自転車の前輪と後輪のようなもので、双方が共に機能していなければ、環境問題の解決には辿り着かないのだ。

 だが今現在、前輪となる「エコロジー」ばかりが肥大化し、環境問題の根本的な解決策を探る試みは、ほとんどなされていない。
 そういう意味で、「自転車は前輪だけでは走らない」という意味合いで、「エコロジーはCO2は削減できるが、環境問題の解決にはならない」と、言い切ってしまっていいと思うのだ。


 うん、長年エコロジーに感じていた違和感が解決したような気がする。