つながる命

私はわずか1万2千坪ばかりの
小さなミズナラの森の傍らで暮らし
その木を切り倒し
薪としたり
家や家具を作る材料として
利用している。
自分の森の木々といえようと・・
たかが一本の木といえようと・・・
一つの命を奪うことへの
良心の呵責とともに・・・


この国に暮らすほとんどの人が
木を切り倒すということなどとは
無縁に暮らしている。

けれども、
この国に暮らすすべての人は
切り倒された木と
無縁な人などいない。

家屋、家具、生活用品そして紙・・・

直接的に木を切り倒さなくても
すべての人が
間接的に木を切り倒している・・・

この世界のすべての営みに
私たちは形を変えて関わっていることを
忘れてはならない・・・

今も、この時も
この国のどこかで
牛や豚やニワトリの
命を奪うために働く人々がいる。

この国に暮らすほとんどの人が
牛や豚やニワトリの命を奪うこととは
無縁に暮らしている。

けれども、
この国に暮らし、肉を食べるすべての人は
牛や豚やニワトリの命を奪うことと
無関係な人などいない・・・

この世界のすべての営みに
私たちは形を変えて関わっていることを
忘れてはならない・・・

牛や豚やニワトリは
私たちの肉となり骨となる。
木々はその私たちを
家屋となって守ってくれる・・・

一つの命が
別の命へと手渡されつながっていく・・・
私たちにできるのは
その命を大切にし
けっして、無駄にはしないこと・・・

この世界のすべての営みに
私たちは形を変えて関わっていることを
忘れてはならない・・・



イラク、アフガニスタン、
世界のいたるところで
戦争が引き起こされ
命が奪われていく・・・・

私たちはこうした戦争に
直接関わっていない・・・
直接引き金を引くことはない・・・

けれども・・・
どこかで・・・
私たちはこうした戦争に
間接的に関わっているかもしれない・・・
間接的に引き金を引いているのかもしれない・・・

そして、
そこで奪われた命は
何の役に立ち、
誰に受け継がれていくのだろう。

この世界のすべての営みに
私たちは形を変えて関わっていることを
忘れてはならない・・・

そして、
一番忘れてはならないことがある。
無関心という形で
関わっていることを・・・

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