article 9

エコナコト・ブログでは記事番号に
articleが使われている。
今回で私の記事は9番目
article9

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英語では憲法9条もこう表記される。

憲法9条は戦争を放棄している。
戦争が人々の暮らしを破壊するばかりでなく
最大の環境破壊であることは
環境に意識のある人なら誰でも気がついているはず。
爆撃された石油施設がもうもうと黒煙を噴き上げ
大気を汚染していく・・・
破壊された石油パイプラインから流れ出た石油が
海を覆い、油まみれとなった海鳥の命が奪われていく・・・
砲弾に使われた劣化ウラン弾が何万年にわたって
放射能を出し続け、白血病に苦しむ子どもたちを生み出している・・・

そうであるならば、戦争をさせない憲法9条を大切にすることが
環境保護につながる・・・と私は考えている。

今この憲法9条を変えようという
動きが大きくなっていることを知っていますか?
憲法を変えるための手続き法ともいえる
国民投票法もすでに制定されました。

憲法9条を守ろう・・・それは
争いのない平和な世界を作ろうという願いです。
それが、大きな流れの中で、
ただ・・平和な世界を作りたい・・という想いが、
発信しにくくなったり、
左翼と見られるように社会になってきています。
時代に合わない・・・
アメリカに押し付けられた・・・
一国平和主義ではいけない・・・
北朝鮮や中国の脅威論・・・
武力を持つことのできる普通の国になりたい・・・
憲法を変えたい人々にとって理由はいくつもあるようです。

けれども、だからといって憲法が変えられ
戦争が容認され・・・
結果、たくさんの人々が住む家を壊され
命が奪われ、地球というかけがえのない星が
壊されていく・・・という選択が
許されていいはずがないのです・・・

これらの理由を自分自身で調べ、考え、検証することもなく
大きな流れに流されていくことによって
ひき起こされる悲劇の重大さを・・・
忘れてはならないのです。

そして、もっと忘れてはならない大切なことは、
憲法を変えてもいいと考える人々自身の
心の闇にも気がつくことです・・・

どんなに、国際貢献とか平和のためと大義をつけても
戦争は人を傷つけ、殺すことです。
憲法を変え、戦争ができるようにするということは、
人を殺すことができるようにするということです。
戦争をしてもいいとすることは、
人を殺してもいいとすることです。

もし私たちが、誰かを殺さなければならないとしたら、
そして、まわりがそれはしかたのないことだから、
殺してもいいよ、と認めてくれたとしても、
選択に至る道のりは、苦渋に満ちているはずです。
けれども、今の憲法改正の流れの中で、
人を殺すということの選択に、
苦渋などどこにも見当たらない。
そこには、殺される人の存在が
まったく無視されているか、軽視されているから・・・
人の命というものが、関わる重大な選択なのに
その重大さを認識できないばかりか、
命の重さにさえ、意識がない人々の
心の闇の深さはいったいどれほどなのだろう。

自分の大切なパートナーが・・・
自分の子どもが・・・
自分の恋人が・・・
人を殺すことになるかもしれない。
殺されることになるかもしれない。
憲法を変えるということは、
これほど重大な問題なのだから、
私たちは、もっともっと苦渋し考えなければならないのです。

どんなに思いやりのある慈悲の心を漂わせてはいても・・・
環境に優しく・・と訴え、小さな命に思いやりを見せても・・・
その根底に命の重さを認識できない
無関心という心の闇を抱えている限り
本当のエコロジーな行動などできないのです。

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戦争は「無意味」 【 Eco philosophia~ココロのエコ~ 】
 『おおきな原野のミズナラの木』さんの「article 9」という記事を読んで、戦争について少し考えてみた。  ミズナラさんの指摘の通り、憲法を改定し、この国を「戦争のできる国」にしたい、という思惑を持っている人が、特に政治の分野で少なからずいるようだ。  なぜこの国を「戦争のできる国」にしたいのか。細分化すれば理由は様々に挙げられるだろうが、大まかに捉えれば、理由はたった3つで、 1、戦争による特需で経済発展が期待できるから 2、他国の情勢に積極的に介入できる大義名分を持つことで、国際競争に自主的に参加
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もう少し、9条の話 【 Eco philosophia~ココロのエコ~ 】
 9条改変に関して、改変推進派と反対派で、諸々認識のズレはあると思うのだが、まず確認しておかなければならないのは、9条が改変されて、日本が戦争のできる国になったとしても、 「一般市民が戦地に赴くようなことはない」ということと、 「日本が戦場になるようなことはない」ということだ。  先の世界大戦で、国民総動員法が施行されて、一般国民が武器を持たなければならなかったのは、先の大戦は「侵略戦争」だったからだ。  侵略戦争である以上、1つの場所を侵略したら次の戦地へ、と次々と戦地を拡大させなければならない。戦地が
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コメント

この記事に対するコメント一覧
Re:article 9
 はじめまして!同じ「エコナコト」でブログをやっている、よっひ~と言います。
 
 ミズナラさんの記事に触発されて、私も戦争について考えてみました。私は全然情報収集とかしないので、思い付きを考証してみただけですが、こうやって戦争について考えるという“行為”自体が、輪となって広がっていけばいいな、と思います。
 トラックバックを勝手に付けさせていただいてしまいました。ご迷惑でしたらおっしゃってください。
 
 それでは、これからも記事を楽しみにしています。
Re:article 9
*よっひ〜さん*
はじめまして。
コメント、TBありがとうございます。
こんなブログですが、
いつでもTBしてくださってかまいません。

私はどんな争いもいりません。
それを、私は感情論でしか語れませんが、
よっひ〜さんのような
感情論ではない展開が必要なこともあります。

でも目的はひとつ
争いのない世界のために・・・
人それぞれのスタイルで
発信できるといいですね。
こちらこそ、これからも、よろしくお願いします。
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