2007年11月05日
残月と明けの明星/長距離ウオーキング
朝が寒い、と言うよりみが引き締まるって感じだ。 南のベランダから東の空を見る 東の空、天高く残月、距離を置いて明けの明星が、青をバックにして輝いていた。5:30
7:00 ー ウォーキングを楽しむ ー 動物は自ら動く物。「動く」とは距離と時間とエネルギーの3つを消費することです。 その過程で「考える」ことが伴っているから楽しいのです。 いつもは1人(2人のこともある)で、宮崎大橋と平和台大橋の間の両岸堤防道路を1周5.5kmを徒歩で楽しんでいます。 その間の自然をいつも持ち合わせしているデジカメで撮って、このブログで世界に発信しています。 今日は、友達と2人で「いつもと違ったコースを歩こう」と言うことにしました。 私の家(宮崎市内・大塚町)を10:30に出て、友人のお父様が1人暮らしされている高岡町・天ケ城公園下まで、大淀川河畔に沿って国道10号10km余りを歩き、着いたのは14:00でした。 歩きながら 「道路は自動車には好都合に出来ているが、人間歩行者に対する思いやりのなさ」 を実感しました。 それは、今日、歩いた距離の中で 「歩いている人と、1人とも出会いも、すれ違いもなかった」 事実からも理解できるのです。 如何に人間が「日常生活において、歩くことから離れてしまっているか」を、実感させられることでもありました。 途中、コンビニで飴とお茶を買ってエネルギーを補給し、道の駅で休憩しました。 帰りは、友人の奥さんが軽輪車で来られたので3人一緒に帰りました。 ー 歩行した道路 ー 車道脇の歩道、歩車道境界ブロック際の植栽帯。樹木の間の防草シートの風化した醜さが気になりました。 沿道の修景を配慮したはずの植栽・樹木とその間の雑草の自生を防ぐためのシートの「ちぐはぐな傲慢な人間の考え方」が、もろに「道路の醜さ」となっているのです。 本来、地面は全て雑草たちが「自生する権利を保っていた」はずなのです。 その一部を「人間の都合に利用させていただいている」のです。 風化した防草シートの部分に「自然な雑草が自生」していたら、虫たちも生きられて「より自然」なのに、そう思うのですが。 自然管理を信頼して「時々刈りとる」ことにより「地元の仕事(雇用)の機会を確保できるのです。 街の中で「建物の屋上・壁面緑化が重要視」されている、その一方で「自然の雑草を悪者視し拒否した扱い方」が、非自然で、不自然がいかに反自然であるかに気付いていないのです。 雑草といえども多くの生き物を養い、人間を含む動物が必要としている環境「酸素を供給し、自然冷暖房機能を保持して、私たちの生活」の保全面で支援してくれている事実に気付いていないのです。
景観修景 歩いていて感じることは、水飲み場・トイレはもちろん、一休みする場所すら全くない事実です。 地べたに腰を下ろして休むといったことは難しいですね。 せめて、橋の上に設けられたバルコニーには「腰掛けブロック:ベンチ」ぐらいは置いたら?と思うのですが?
展望場所:バルコニー 国道10号から河川堤防道路に抜ける路地です。 民家の間を通り抜けた路地、自然に生えた両側の鶏頭が、歩く人を歓迎してくれているように思われます。 まさに 「花道」 であります。 几帳面な人だったら「こんな処に、植えてもいない花が」と引っこ抜かれるかも? その「地道の場所違いの花」のマッチング。「素晴らしい」ですね。 その「花自らの積極性(自生)」を理解して、地域みんなが容認している様子は、更に素晴らしいですね。地元の人に愛されているかも?、自慢しているかもね!
路地・地道 国道の居住地内を抜けるの近代的歩道。素晴らしいですね。折角だから多くの人が歩いてくれればいいのだが?
国道沿い民家のある歩道 途中、安藤沿いの雑木林で色づいていた紅葉が美しかった。 ピンクがかってみえるが、実際には赤味が強かったのだが?
紅葉 道端の畠の中に珍しく「綿:わた」が植えられていて、実がなっていた。 昔、自給自足の時代の田舎では、綿を栽培し、糸を紡ぎ、機織りをして布を作っていたのです。
懐かしい綿 ー 歩く楽しみ ー 大自然が見える ありのままの 社会が見える そして 己自身の生き方が見えるのです。 何かが見えてきたとき 自分だけが「何かしら得した嬉しい気分」になれるのです。 そして そのことを誰かに聞いて欲しい気持ちにも 見えてくれば それが脳に伝えられ、考える力になるのです。 考える楽しみを覚えましょう そのことは必ず、 自分のため 社会のため そして 他の生き物を含んだ 地球全体のために繋がるのです。 現在、徒歩がイベント化しました! そのことは否定しません。 リーダーが決めた日・場所(コース)を、 ぞろぞろと大勢で楽しむのもいいものです。 しかし 一人で、または、少数で沿道の自然や、思いにふけりながら 自由気ままに、楽しみながら歩く素晴らしさを味わって下さい。 朝、または夕方に「誰かが主張している正しい歩き方」に則って歩いている人があります。 挨拶しても「邪魔せんといて!」といった感じで、脇目も振らずに一生懸命に歩いている「余裕のない人」を見かけることがあります。 このことは否定しませんが 「貴女は運動不足だから歩きなさい」と、もう1人の自分に命令されて「ノルマ消化のために歩かされている」といった感じを受けるのです。 強制されて「勉強させられている子供」と同じように見られるのです。 精神的な負担にもなるのでは? そこで、自家用車の普段における「習慣的な乱用・悪用」を慎んで、 日常、生活で必要に応じて歩く「普段の生活に徒歩の復活を」提唱しているのです。 いま、世界中で 「自動車の生産競争」 がなされているのです。 自動車の素晴らしさは認め、否定しませんが、その習慣的な乱用・悪用の裏側は、 「不健康促進・公害発生拡大システムである」 といった事実は否定できないのです。 このことを [世界中のより多くが気付き、行動に結びつけないと、21世紀の地球温暖化防止にはならない] のです。 = 健康は最大の社会貢献なのです = 1人でも出来るボランティア「普段お生活に徒歩の復活を!」
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2007年10月25日
今朝の宮崎市内の空は曇り/混ざり合いの社会
後に晴れるか。最近雨らしい雨、秋雨がないのは?気になりますが。ー 宮崎アートフェスティバル2007 ー このブログでは、任意の社会活動の広報支援をして、社会参画の一翼を担っています。 世代を超えた人間同士の交流を期待しています。 ー 混ざり合いの社会 ー 「社会の素晴らしさ」は、様々な状況の異なった人間同士が「いかにして自然に混ざり合うか」によって決まるのだと私は信じています。 問題を発掘する目的で同じ者同士が集まって、問題が解決したら、素早く元通りに他と自然に混ざり合うことが必要です。 同類同士が集まったままで固まってしまうと危険です。自分たちだけの主張が強くなり、他との対抗意識が盛り上がり「排他的な動きが芽生え、力が増すのに伴って危険な存在」になるのです。 人種問題などは、自然に混ざり合わなかったため、同類が固まった結果、差別が生じ社会的不安に発展していくのです。 コンクリートは「繰り石・砂・セメントの、それぞれ違った3つの材料」が、ほどよく「混ざり合って水で固められたもの」です。 それが必要な期間養生されてはじめて「所定の強さ」を発揮するのです。 3つの材料が分離して、同じ者同士が集まっていて「混ざり具合が悪い」と、もろくて直ぐに壊れるのです。 人間社会も同じです「年代・身体の具合など様々な人が普段から混ざり合って生活し、隣同士がお互いに助けあい、強く結びつく」ことにより社会としての力(社会力)が発揮され安定した暮らしやすい社会になるのです。 孤独死・自殺・虐待などは起こりえないのです。 これらのことをご理解下さいね! 各種の色々な人が混ざり合う機会・場として、各種のイベントが企画されます。 それらに、積極的に参加しましょう。 今まで他人同士であった人との出会いを通じて、その場だけの癒しでも、また、場合によっては再びの出会いに、交流に繋がる機会になるかも知れないのです。
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「ふうせん」の方が「フウセン」より似合いますね。 「ふうせん」は赤ちゃんの肌触り、その柔らかく、弾力性のある感触は、母親に対する郷愁を覚えます。 その「ふうせん」を使った、様々な可能性を試みる「楽しいイベント」です。 誰でもが楽しめるのです。 「参加して良かった!」と、多くの人から納得してもらえる企画が「たーくさん」用意されています。 ご期待下さい。
愛猫:Mです! ー 私は好きなのです ー 私は、花壇やガーデヒニング灘で咲いているはなの好きですが、人為的に植えられていないはなが、場合によったら、引っこ抜かれたかも知れない「場所違いの花」が、より好きなのです。 風に飛ばされて「自ら居場所を選んでいる」。とても、考えられないような厳しい状況の下で、頑張って咲いている姿、その花が好きなのです。 以前は一本だけだったのですよ。それが分蘖(ぶんけつ)して、このように立派に多くの花を咲かせているのです。
日日草
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2007年10月22日
今朝の宮崎市内の空はニッポンバレ
「雲一つないニッポンバレ!」のはずであるが、空が白っぽくて、青さが「子供時分に記憶している青さ」と比べて納得いかない。 以前から指摘している中国から襲ってくる公害を含んだ黄砂が原因であることは否定できない。南のベランダから南西の空:鰐塚山方面を望む
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2007年10月16日
宮崎市内の空は晴れ
朝晩秋らしくなった、今朝は晴れ。青空とまでは言えないが、快晴である。 ー 朝の部屋への陽射し効果 ー 幸いにしたマンション住まい4階は、高すぎず低すぎずで、陽射しが差し込んで年中、冷暖房に頼らない生活を楽しんでいる。 居間の金魚水槽に朝陽が当たってプリズム効果、あわててコップ置いたが、白は黒の間違いであった。
部屋を片づけて布団を積み上げて、愛猫Mを呼んだら、気持ちよさそうにくつろいでいる。
額の印「M」が名前です。
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2007年10月15日
今朝の宮崎の空は快晴であるが、白っぽい!
言うまでもなく中国からの公害を伴った黄砂の影響と考えられる。 晴れても、 空色(青空) が見られない。 空色が「青」から白っぽい色に変化して、日常化してきた。 「青」は「宙(そら)」である。 美術の教科書の「空色」の「青」は、「白っぽい色」に定義の変更が必要である。 時代変化を実感させられる。 政治家は、民間で常識の「金の使い道の証である」はずの「領収書」について、国民に通用しない非常識な歪曲した解釈で、国民を誤魔化そうとしているが、この空の色が変わっている重大さ気づかないのか。南のベランダから東南の方向を見る。 この事実を認識しましょう。
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2007年10月13日
ユニバーサルライフメッセージ
2007年3月22日の文章より この冬(平成一八~一九年)ほど思わせられることは、過去になかった。 地球がおかしくなったのではないか?と そこで、私が以前から考えていたことを、ご紹介します。 我が儘な人間は 生き物の中で特別(万物の霊長)であり得るか、そのことについて考えてみよう! 自然を出来るだけ受け容れて 自然を楽しみながら 地球に優しく 自然でスマートに生きよう! 自然とは、色々な異なった要素が複雑に混ざり合って、常に変化している状態である。 人間は「生き物サミット」で「リーダー」になりうるか? ユニバーサルライフメッセージ 一.自然の恩恵を受けながら「自然を拒否」した生き物は、人間だけです。 (人間は自然と喧嘩しても絶対に勝てないのです。自然と身近で仲良くし、オシャレにつきあって有効に工夫・活用し楽しむことを習慣にしよう) 二.自然界(地球上)で、「不自然な生活をしている生き物」。それは人間だけです。 (便利さを優先した生活・運動不足、薬漬け・潔癖性などは、身体の機能の退化・体力の衰えを招き、対病原菌免疫抵抗力がなくなり、病気になりやすい) 三.自然の創造神が地下深くに隠された「化石資源(非生産財)」に頼った生活をしている生き物は、人間だけです。 (その時点から狂いはじめた。自然系で循環的に生産されるエネルギー・資源を有効的に活用しよう) 四.創造神から足(脚)をいただいて「歩くことを拒否し楽しむ権利」を放棄している生き物は、人間だけです。 (歩けなくなって判る、歩けることの有り難さ。乗用車の悪用・乱用を慎み、効率・実用的な活用範囲に留め、地球への負担を抑制しよう) 五.都会人に比べ地方の人は「ドアと駐車場の間」だけしか歩けなくなり、乗用車内に閉じこもってしまったのです。 (道で、里で、街でも地上から人影が消え、出会いがなくなった。交通渋滞・事故が増え「子どもの遊び場・立ち話が出来る通りが車道になった。繁華街がシャッター通りと駐車場に変わった。地域全体が寂れてしまった) 六.人間社会では現在、場所・日時・リーダーを決め、ゾロゾロと「徒歩のイベント化」の不自然さに気付こう。 (徒歩のイベント化は否定しないが、個人の意志で普段、必要に応じて、楽しみながら習慣的に歩こう) 七.歩けば「大自然・ありのままの社会・それに己自身の生き方」が、つぶさに見えてくるのです。 (歩いていると、車内の限られた視界よりも、色々なものが見え、楽しみがある。考えが浮かび、気づきがあり、自分だけが「何か得した不思議な気分」になれる) 八.日常「不用意」な乗用車の乱用者は、徒歩による「若さ・健康美・楽しみ」を拒否し権利を放棄した人です。 (徒歩は肥満防止。適度の外気(暑さ寒さ)を直接肌に受けて、その刺激で皮膚が活性化し美肌になる、若さを保ち美人になるための基本) 九.自然(暑さ・寒さ)を拒否した「完全冷暖房」は、肌の不活性かにつながるので、ほどほどにしましょう。 (外気刺激不足で、皮膚の体温調節機能を退化させ、肌が荒れ老化し、風邪をひきやすくする) 常識は多くが認めているが「いつまでも正しいとは限らない」世につれ移り変わるもの。 十.普段の差別など常識を含めて、不平等・不自然な生活に「気づいていない人」は、「生活習慣病」患者です。 (世の中の有識者・リーダーを含めて、そのことの不自然な生活に気付いても、なお、改められない人は「不治の病」を患っている人) 十一.社会不安の原因に「不自然な家庭・社会生活」からくる「ストレス」が背景にあると考えられます。 (特に、子供は拘束しないで、自然と社会に触れられる自由な機会を適切に与え、自立心を育て見守ろう) 十二.人間は困ったら「自然な生活」をしている他の生き物の「生き方」に学ぼう! 十三.日常の健康を維持し地球に優しく生きよう。(自然を生活の中で、適切に受け容れる) そのため日常生活に「徒歩の楽しみ」を復活し「自然な動物らしさ」を取り戻そう! 十月四日は 「徒歩の日」 です。 普段の生活に徒歩の復活を! == 健康であること == そのことが立派な社会貢献です! 自戒を込めて・・…貞 原 信 義代表 : 徒歩を楽しむ会・徒歩通勤を楽しむ会・徒歩で橋を楽しむ会 1人でも出来るボランティア(自分自身で考えて実践) (会則なし・非会員登録制・非集団行動・啓蒙実践団体) 傲慢な人間は「自然を護る」と言う、 「自然に護られ、生かされている」事実を認識しよう!。 今更、ここまできて「現状を否定しては、生きにくい」のです。 しかし、上記について少しは考えてみる必要があるのでは・・・・。
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- 18:06 |
- 箴言 |
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5:30
7:00
景観修景
歩いていて感じることは、水飲み場・トイレはもちろん、一休みする場所すら全くない事実です。
地べたに腰を下ろして休むといったことは難しいですね。
せめて、橋の上に設けられたバルコニーには「腰掛けブロック:ベンチ」ぐらいは置いたら?と思うのですが?
展望場所:バルコニー
国道10号から河川堤防道路に抜ける路地です。
民家の間を通り抜けた路地、自然に生えた両側の鶏頭が、歩く人を歓迎してくれているように思われます。
まさに
路地・地道
国道の居住地内を抜けるの近代的歩道。素晴らしいですね。折角だから多くの人が歩いてくれればいいのだが?
国道沿い民家のある歩道
途中、安藤沿いの雑木林で色づいていた紅葉が美しかった。
ピンクがかってみえるが、実際には赤味が強かったのだが?
紅葉
道端の畠の中に珍しく「綿:わた」が植えられていて、実がなっていた。
昔、自給自足の時代の田舎では、綿を栽培し、糸を紡ぎ、機織りをして布を作っていたのです。
懐かしい綿
「ふうせん」の方が「フウセン」より似合いますね。
「ふうせん」は赤ちゃんの肌触り、その柔らかく、弾力性のある感触は、母親に対する郷愁を覚えます。
その「ふうせん」を使った、様々な可能性を試みる「楽しいイベント」です。
誰でもが楽しめるのです。
「参加して良かった!」と、多くの人から納得してもらえる企画が「たーくさん」用意されています。
ご期待下さい。
愛猫:Mです!
日日草
南のベランダから南西の空:鰐塚山方面を望む
青空とまでは言えないが、快晴である。
ー 朝の部屋への陽射し効果 ー
幸いにしたマンション住まい4階は、高すぎず低すぎずで、陽射しが差し込んで年中、冷暖房に頼らない生活を楽しんでいる。
居間の金魚水槽に朝陽が当たってプリズム効果、あわててコップ置いたが、白は黒の間違いであった。
部屋を片づけて布団を積み上げて、愛猫Mを呼んだら、気持ちよさそうにくつろいでいる。
額の印「M」が名前です。
南のベランダから東南の方向を見る。
この事実を認識しましょう。
代表 : 徒歩を楽しむ会・徒歩通勤を楽しむ会・徒歩で橋を楽しむ会
1人でも出来るボランティア(自分自身で考えて実践)
(会則なし・非会員登録制・非集団行動・啓蒙実践団体)
傲慢な人間は「自然を護る」と言う、
「自然に護られ、生かされている」事実を認識しよう!。
今更、ここまできて「現状を否定しては、生きにくい」のです。
しかし、上記について少しは考えてみる必要があるのでは・・・・。


