残月と明けの明星/長距離ウオーキング

朝が寒い、と言うよりみが引き締まるって感じだ。

南のベランダから東の空を見る

東の空、天高く残月、距離を置いて明けの明星が、青をバックにして輝いていた。
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 ー ウォーキングを楽しむ ー

 動物は自ら動く物。「動く」とは距離と時間とエネルギーの3つを消費することです。
 その過程で「考える」ことが伴っているから楽しいのです。

 いつもは1人(2人のこともある)で、宮崎大橋と平和台大橋の間の両岸堤防道路を1周5.5kmを徒歩で楽しんでいます。
 その間の自然をいつも持ち合わせしているデジカメで撮って、このブログで世界に発信しています。

 今日は、友達と2人で「いつもと違ったコースを歩こう」と言うことにしました。
 私の家(宮崎市内・大塚町)を10:30に出て、友人のお父様が1人暮らしされている高岡町・天ケ城公園下まで、大淀川河畔に沿って国道10号10km余りを歩き、着いたのは14:00でした。

 歩きながら 「道路は自動車には好都合に出来ているが、人間歩行者に対する思いやりのなさ」 を実感しました。

 それは、今日、歩いた距離の中で 「歩いている人と、1人とも出会いも、すれ違いもなかった」 事実からも理解できるのです。

 如何に人間が「日常生活において、歩くことから離れてしまっているか」を、実感させられることでもありました。
 途中、コンビニで飴とお茶を買ってエネルギーを補給し、道の駅で休憩しました。

 帰りは、友人の奥さんが軽輪車で来られたので3人一緒に帰りました。



  ー 歩行した道路 ー

 車道脇の歩道、歩車道境界ブロック際の植栽帯。樹木の間の防草シートの風化した醜さが気になりました。
 沿道の修景を配慮したはずの植栽・樹木とその間の雑草の自生を防ぐためのシートの「ちぐはぐな傲慢な人間の考え方」が、もろに「道路の醜さ」となっているのです。
 本来、地面は全て雑草たちが「自生する権利を保っていた」はずなのです。
 その一部を「人間の都合に利用させていただいている」のです。
 風化した防草シートの部分に「自然な雑草が自生」していたら、虫たちも生きられて「より自然」なのに、そう思うのですが。
 自然管理を信頼して「時々刈りとる」ことにより「地元の仕事(雇用)の機会を確保できるのです。

 街の中で「建物の屋上・壁面緑化が重要視」されている、その一方で「自然の雑草を悪者視し拒否した扱い方」が、非自然で、不自然がいかに反自然であるかに気付いていないのです。

 雑草といえども多くの生き物を養い、人間を含む動物が必要としている環境「酸素を供給し、自然冷暖房機能を保持して、私たちの生活」の保全面で支援してくれている事実に気付いていないのです。

 景観修景

 歩いていて感じることは、水飲み場・トイレはもちろん、一休みする場所すら全くない事実です。
 地べたに腰を下ろして休むといったことは難しいですね。
 せめて、橋の上に設けられたバルコニーには「腰掛けブロック:ベンチ」ぐらいは置いたら?と思うのですが?

 展望場所:バルコニー


 国道10号から河川堤防道路に抜ける路地です。
 民家の間を通り抜けた路地、自然に生えた両側の鶏頭が、歩く人を歓迎してくれているように思われます。
 まさに 「花道」 であります。
 几帳面な人だったら「こんな処に、植えてもいない花が」と引っこ抜かれるかも?
 その「地道の場所違いの花」のマッチング。「素晴らしい」ですね。

 その「花自らの積極性(自生)」を理解して、地域みんなが容認している様子は、更に素晴らしいですね。地元の人に愛されているかも?、自慢しているかもね!
 

 路地・地道

 国道の居住地内を抜けるの近代的歩道。素晴らしいですね。折角だから多くの人が歩いてくれればいいのだが?

 国道沿い民家のある歩道

 途中、安藤沿いの雑木林で色づいていた紅葉が美しかった。
 ピンクがかってみえるが、実際には赤味が強かったのだが?

 紅葉

 道端の畠の中に珍しく「綿:わた」が植えられていて、実がなっていた。
 昔、自給自足の時代の田舎では、綿を栽培し、糸を紡ぎ、機織りをして布を作っていたのです。
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 懐かしい綿



  ー 歩く楽しみ ー

大自然が見える
   ありのままの
  社会が見える
   そして
  己自身の生き方が見えるのです。

 何かが見えてきたとき
  自分だけが「何かしら得した嬉しい気分」になれるのです。
   そして
  そのことを誰かに聞いて欲しい気持ちにも
 
  見えてくれば
  それが脳に伝えられ、考える力になるのです。
  考える楽しみを覚えましょう

   そのことは必ず、
  自分のため
  社会のため
   そして
  他の生き物を含んだ
  地球全体のために繋がるのです。


 現在、徒歩がイベント化しました!
  そのことは否定しません。
 リーダーが決めた日・場所(コース)を、
 ぞろぞろと大勢で楽しむのもいいものです。
  しかし
 一人で、または、少数で沿道の自然や、思いにふけりながら
 自由気ままに、楽しみながら歩く素晴らしさを味わって下さい。

 朝、または夕方に「誰かが主張している正しい歩き方」に則って歩いている人があります。
 挨拶しても「邪魔せんといて!」といった感じで、脇目も振らずに一生懸命に歩いている「余裕のない人」を見かけることがあります。
  このことは否定しませんが
 「貴女は運動不足だから歩きなさい」と、もう1人の自分に命令されて「ノルマ消化のために歩かされている」といった感じを受けるのです。

 強制されて「勉強させられている子供」と同じように見られるのです。
 精神的な負担にもなるのでは?

 そこで、自家用車の普段における「習慣的な乱用・悪用」を慎んで、
 日常、生活で必要に応じて歩く「普段の生活に徒歩の復活を」提唱しているのです。

 いま、世界中で 「自動車の生産競争」 がなされているのです。

 自動車の素晴らしさは認め、否定しませんが、その習慣的な乱用・悪用の裏側は、

  「不健康促進・公害発生拡大システムである」 といった事実は否定できないのです。

 このことを [世界中のより多くが気付き、行動に結びつけないと、21世紀の地球温暖化防止にはならない] のです。

 = 健康は最大の社会貢献なのです =
 1人でも出来るボランティア「普段お生活に徒歩の復活を!」